奈良県西和7町の合併の実現を考える


西和7町とは、奈良県北葛城郡王寺町、上牧町、河合町と生駒郡斑鳩町、三郷町、平群町、安堵町で、面積の小さな町ばかりが集まっている地域です。
奈良盆地の一番西側に位置し、大阪府と接していて、近年ニュータウンが開発され、大阪のベットタウンとして急速に発展しましたが、有名な法隆寺や信貴山などの観光や自然もあり、文化遺産や自然とも調和を取りつつ発展を図っている地域です。
私は、中学以降、この地域の西大和ニュータウンという所に親が持家を建てたため、ここで育ちました。

私が越してきた当初(1980年代始め)、西和7町の、どの町も町民ホールとか図書館などの大きな箱物は有りませんでしたが、80年代末のバブル経済期に入ってから各町がそれらの箱物を競うように建て始め、バブル期が終わったころには、それらの施設が小さい各町に林立した状態になっていました。
私の家の町である上牧町などは、「ペガサスホール」「21世紀会館」という2つもの似たような目的の町民ホールが建てられました。
私は、これらの箱物建設の計画が持ち上がってきた高校生の頃、上牧町長に早く隣接町と合併して、狭い各町が同じような町民ホールをいくつも建てるのを止めて、一つの大きな市民ホールや図書館を建てるというような無駄の無い効率的な行政運営を行ってほしいという趣旨の手紙も出しましたが、計画は進められました。
そして、現在はこの幾つもある町民ホールの維持費のせいもあって、各町の財政状況は逼迫し、上牧町などは財政再建団体に指定されてしまいました。
もっと前からこの地域は合併していれば、現在のような箱物の無駄は起こらなかっただろうと思います。

そして、この数年前の旧合併特例法期限切れの全国的な合併ラッシュの時に、ようやくこの地域も住民発議によって7町の法定合併協議会が設置され、「西和市」という市名も決まりましたが、一部の町が実施した合併是非の住民投票で、平群町は賛成多数でしたが、斑鳩町と王寺町は反対多数だったため、地域の核である王寺、斑鳩という二つの町の合併協離脱で、合併は破談してしまいました。

私はこの住民発議に至る3年程前に、7町の広域行政組織である「王寺周辺広域市町村圏協議会」会長の岡井康徳河合町長宛に、現在のような広域行政組織の下では、各町が箱物を競うように作るという事が無くならず、限界があり、合併すべき時期に来ており合併しなければその現状は無くせないでしょう。合併特例法の恩恵が受けられる今、ぜひとも合併の決断をすべきです。というような趣旨の手紙を出していました。
そして、「法隆寺青年会議所」にもこの箱物の無駄の現状を変えるためにも合併が必要であるという合併の必要性と、合併特例法で制度化された、法定合併協議会設置の住民発議をぜひとも起こし、その旗振り役を行ってほしいということを訴えた手紙も出しました。
この頃、全国の市町村合併での住民発議の多くが青年会議所によって立ち上げられた事例が多かったので、この地域の青年会議所に期待しての事でした。また、ある上牧町議の方にも訴え、動いて頂きました。
そして、1年近くたって、行政側の王寺周辺広域市町村圏合併研究会が発足し、更に一年後、元斑鳩町議や地域紙の編集者の方などが中心になって「21世紀太子の都づくり推進協議会」という、7町の合併とまちづくりを目指した市民団体(すぐ後にNPOになる)が発足しました。
私は、ようやく立ち上がってきた合併運動にぜひ加勢したいと思い、早速この市民団体の会に参加しました。
私はここでも、上記の箱物の無駄の現状を変えるためにも合併が必要であるという私の持論を訴え、合併後の新市の私のビジョンを発表し、法定合併協議会設置の住民発議を起こさなければ、行政側の合併協議会設置までには進まないでしょう。ということを訴えました。
その間に、法隆寺青年会議所の方々も加わって、法定合併協議会設置の住民発議の署名を確実に集めるための方法や戦略、役割分担などを話し合った後、ついに住民発議の署名運動を行うことが決まりました。
そして、7町で住民発議の署名運動が行われ、全有権者の50分の1以上の署名が2ヶ月程度で集まり、ようやく、行政側の王寺周辺広域市町村圏法定合併協議会を発足させるに至りました。

しかし、結果は合併協議最後の局面の、王寺町と斑鳩町の合併の是非の住民投票での反対多数によって合併は破談するという残念な結果になってしまったわけです。
一体いつになったらこの地域は合併できるのでしょうか?今は実家に帰っても住民の方々の話題に合併の「が」の字も出てきません。
放っておいたらこの地域はいつまでたっても合併出来ないように感じます。
私も半ばあきらめムードでしたが、4年ほど経ち、私もそろそろまた動こうかと思い始めています。

再び合併の実現を目指すためにはこの合併の失敗から学んだ新しい戦略を考える必要があります。
この合併破談の原因について考えてみたいと思います。

@市名決定の協議過程が不透明で、斑鳩住民の望まない市名が決定され、斑鳩住民の反感を買ったことです。
合併協議会は市名を住民から募集し、結果は一位が「法隆寺市」、二位が「西大和市」、三位が「西和市」であったにもかかわらず、公募結果を重視せず、合併協議会委員だけの意見の採決で「西和市」に決まりました。

A主に共産党町議達による、「合併特例債ありきの合併で、税金の無駄使いが増え、さらに借金が増える」とか、「公共料金が上がる」「役場が遠くなって利便性が下がる」「町の伝統や文化が失われる」といったネガティブキャンペーンが張られ、大量のチラシが住民の間に撒かれたことです。

B比較的財政状況の良い町が悪い町の借金を背負いたくないとか、同和地区のあった町とは一緒になりたくないといった、町民のエゴが少なからずあったということです。

この合併が破談して1年ぐらいしか経たないうちに奈良県は「奈良県市町村合併推進構想」(平成18(2006)年3月策定)を示して、この中で西和7町は、北葛城郡王寺町、河合町、上牧町、生駒郡三郷町の4町と、生駒郡斑鳩町、平群町、安堵町の3町の2つのグループに分けての再合併推進プランを検討しています。
私はこの案は合併の失敗を直視した現実的な案だと感じられ賛成です。
生駒郡である三郷町が北葛城郡3町の合併グループに加えられているのも生活圏とのつながりを重視し、郡の区分にこだわっていないという点で現実的で妥当です。
実際にこの案で再び合併を目指しても今度は成功する可能性が高いだろうと感じています。
というのも、まず王寺町の合併グループと斑鳩町の合併グループに分かれていることで、新市名の決定が今度はあまり不満なくスムーズに行く事が予想できます。斑鳩町の合併グループの中では今度も斑鳩町は「斑鳩市」か「法隆寺市」とかにしたいと言い張るでしょうが、平群町や安堵町は、王寺町の合併グループほどは特に他にこの市名にしたいというようなこだわりもないため、仕方ないなと思いつつ斑鳩町のわがままをのんでくれるのではないかと思います。王寺町の合併グループでも当然、障害になっていた斑鳩町はいないため、当初の「西和市」(将来また大合併する時の為に取っておく可能性もあり)か「西大和市」あたりにスムーズに決まるでしょう。
Aについても新合併特例法が施行されている現在では旧合併特例法下で適用されていた「合併特例債」優遇制度は廃止されているので、共産党に付け入られる要素は少なくなっています。
また、Bのような低次元のエゴ的な理由による合併反対は本来反映されなくても良いものですが、住民投票といった直接民主主義的手法はこのような低次元のエゴによる反対も「住民の意思による反対」として一括りにされてしまう欠点があります。
前回の西和7町合併での合併の是非を問う住民投票においても、このような一部の低次元のエゴ的な反対も反対票として一括りにされ、住民の意思として尊重される結果になってしまいました。
ですので、今度はあえて住民投票を行わないようにするか、もしくは行なうのであればこのような低次元のエゴ的な反対票を排除する工夫が必要です。
例えば、合併反対の人に対して反対の理由を設問の中から選んでもらうような項目を設け、その項目の中にこのような低次元のエゴ的な理由の項目も作っておくというようにです。(実際に行う時には合併賛成の人に対してもこのような設問に答える内容を設けないと不平等なので、賛成の人に対しても設ける)まあ、みんなが正直に回答してくれないと、この方法の有効性も低いのですが・・・・。

            
私の実家、西和7町の中心市街地、JR王寺駅前。 郡部とは思えない立派な市街地が形成されています。   西大和ニュータウンのメーンストリート、
7町が合併して人口15万の「西和市」になるはずでした。                        西大和ショッピングデパート付近。
                                        
              


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