ノストラダムスの大予言と未来創造

1999年8月



実は私が地球人類文明の危機的状況に対して、その認識に目覚めるきっかけとなった一つがノストラダムスの大予言です。
今まで多くの解読者、研究家達がその予言の暗い面ばかりを強調してきて、そのようなことを信じたくない人たちの多くは、この予言を無視し、見て見ぬふりをしてきたようです。
特に、日本でいち早くノストラダムスの大予言を紹介した五島勉氏の著書をマスメディアがあおりたて、五島氏が読者に伝えたい真の意図とは裏腹に、いつのまにか1999年7月に人類は滅亡するというようなことがマスメディアによって歪曲宣伝され(この点については特に最近の著書、「ノストラダムスの大予言 最終解答編」 詳伝社 刊 の中で氏は回顧されています。)、それを鵜呑みにしてしまった人たちが、大予言から目を背け、「どうせ人類は滅亡するんだからどうなってもいいや」とか「大予言なんかくそくらえ」とかいうような、一種の刹那主義を生み出してしまってきた、マスメディアの責任もあります。
しかし、予言に対してこのような逃避的な態度をとっていては、予言の警告が生かされません。
私は、ノストラダムスが現在の私達にこのような予言を伝えた理由は、このまま人類が危機的状況を認識せず反省なしに進めば人類の自滅を招くことになる未来になるということを今の私達に警告し、私達が予言を直視し、その回避の為に英知を結集して未来を変えて欲しかったからに違いないと思います。
人間の想念(精神)と目に見えるこの私達の生きている物質世界は同源でそれぞれが密接に影響しあっているということが精神的な分野の科学における研究で解ってきています。多くの人間の「想い」があるひとつのことに集中するとき、それは物質世界に「顕在化」するのです。
それは、私達の現在の心の持ち方が未来の世界の有り様に影響を与えるということも意味します。このように、人間の想念、意志によって未来が変化するということが科学的にも解明されつつあります。
未来は既に決められている変更不可能な決定論的なものではないのです。そこで、私達の現在の行動や心の持ちかたが重要になってきます。
それは、危機を回避し、より良い未来の世界にするにはどうすればよいのかということを多くの人が真剣に考え、行動し、そしてそれをイメージすることは、未来の世界の有り様に影響を与えるという意味で重要性を持つのです。

ノストラダムスの予言詩には、「別のもの」について言及している次のような詩があります。

” 月の支配の二〇年が過ぎ去る。
七〇〇〇年、別のものが王国を保っているだろう。
太陽がその時代を心のおもむくままに取るとき、
そのとき我が大予言も完結するのだ。” ( 五島氏の訳)

この予言詩について五島氏は「ノストラダムスの大予言 最終解答編」の中で次のように解読しています。

「この一行目の「月」は、ノストラダムスが学んだユダヤの秘法のカバラでは「太陽が昇る前に沈む文明」の象徴である。
実際に何を表わしているのかはわからない。しかし続いて、二〇年という言葉が出てくる。これもカバラでは二〇〇〇年を意味することがある。
したがって「月の支配の二〇年が過ぎ去る」とは、二〇〇〇年にわたるキリスト教欧米文明が、その役割を終わることを告げているようにも思える。
そして二行目「七〇〇〇年」。これは前にも触れたが、エジプトのピラミッドあたりから始まった今の人類文明の「七番目の千年紀」のこと。
このことはノストラダムス自身、息子への手紙の中で、「われわれは今、七番目の千年紀にいる」と書いているので明白だ。
ここから、この七〇〇〇年は西暦の二〇〇〇年と同じ時期をさしているとわかってくるのだ。
ではなんで、ここだけわざわざ七〇〇〇年と書いて、「二〇〇〇年」と書かなかったのか?
ここにノストラダムスの強い意志が感じられる。つまり二〇〇〇年とか一九九九年とかいうのは、あくまでもキリスト教による年数の数え方。イエスが生まれたときを基準にする数え方だ。
キリスト教に心から忠実な予言者なら、その全予言に出てくる年数をすべて西暦で統一すべきだ。だがノストラダムスは、それをこの詩でだけやらなかったのだ。
これは、「この詩はキリスト教の掟や未来観のワク外にあります」と、断固として宣言したのと同じである。
つまり、そのワク外に出れば、そしてキリスト教よりずっと長い、七〇〇〇年来の人類の、(まだキリスト教的破滅予言がなかったころの)本来の文明にコースを戻すことが出来れば、そのとき人類は破滅からも再臨からも解放され、「別のもの」の王国を打ち立てることが出来る。
それがこの詩の二行目までの暗示であるように思われる。とすれば、その「別のもの」の文明を支えるもの、それが三行目の「太陽」だと。
この「太陽」を私はかつて、太陽のマークを国章に持つ日本の新しい文明ではないかと考えた。
今ではそれも含めて、太陽エネルギーによる新しい文明ではないか、そうあってほしいと考えている。 」

私も以前より、この「別のもの」こそ、宇宙意識と調和する次元の高い新しい価値観、世界観への地球人類の意識変革の人々の様々な動きやその意識変革によって打ち立てられ、誕生する、宇宙や地球と調和し共生する新しい地球人類文明のことに他ならないと確信しています。
そして、地球の浄化作用の一環として起こるべくして起きる天変地異も地球人類の意識変革を促す為の必要悪と捉えるという意識も持たなければならないと思います。
バブル経済とその崩壊で金銭で幸福は充足し切れないことに気づき、阪神大震災でボランティア意識が芽生え、異常気象や酸性雨、森林破壊、砂漠化等で自然環境を守ろうという意識が高まってきたのと同じように・・・。  


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