三つめは、様々な金融資産市場での取引の場(土地や株式、債券等の有価証券や
先物取引など)における「投機」の排除とそのために金融機関がそれらの投機に対
して厳しく規制することの必要性です。氏は述べます。
「どの国でも銀行業界は厳しく規制されるべきである。1920年代の教訓を忘れ
 てはいけない。当時、金融セクターの規制緩和により投機バブルが起こり、それ
 がはじけて、世界は破滅的な恐慌へと突き落とされた。1930年代に銀行や株
 式市場に対する規制が導入されたが、1970年以降徐々に取り払われた。
 今、日本では規制緩和熱が高まっている。専門家の中には、経済の色々なセクタ
 ーが規制緩和されれば全てはうまくいくと信じている人がいる。輸入が増え、消
 費者価格が下がり、経済が効率的になり、生産性が向上し、消費者は喜ぶだろう、
 と。これは過去20年間、エコノミストがアメリカ人に与えてきた希望と同じ種
 類の希望である。確かにそのとおり、輸入は増え、インフレは下がり、コンピュ
 ータ利用の増大により、人々はより効率的になり、生産性が急激に上昇した。こ
 れらは全て、自由貿易主義者が望んだ通りだ。ただ、彼らの議論の一部だけが実
 現していない。つまり消費者が全く満足していないのだ。物価はゆっくりと上昇
 しているが、給与はほとんど上がっていない。消費者が不満なのは、生産性の向
 上にもかかわらず、彼らの税引き前および税引き後の実質賃金が大きく減少して
 いるからである。金融セクターではなく、産業の規制緩和は常に好ましいが、長
 い目でみなければその利益は現れない。人はまず労働者であり、次に消費者なの
 だ。不幸な労働者は幸福な消費者にはなりえない。自由貿易主義者はこれが解っ
 ていない。また、大多数の人々にとって、国内製造業の縮小が実質賃金の縮小を
 引き起こすことにも気づいていない。日本でも、全ての産業における国内競争を
 強めるために規制緩和を導入するべきだが、工業輸入を促進する必要はない。さ
らにすでに述べたように、金融セクターは絶対に規制緩和するべきではない。そ
 れによって投機の波が起こり、それが後に、高い失業率や負債といった形で多く
 の痛みをもたらすからだ。」(「株式大暴落」 233〜234ページ)

「株や債券や金地金などの購入、または大企業の買収といった投機的な活動のため
 に銀行が貸し出しを行うことを認めてはならない。それと並行して、借りやすい
 手ごろな金利でお金を貸し出せるよう、銀行はその資金調達コストを抑えておく
 べきである。買いやすい住宅を供給していくためには、不動産市場が均衡してい
 ることが大切である。それによって土地価格が安定する。不動産投機のための貸
 し出しを認めないならば、土地の価格はしっかりコントロール出来るだろう。こ
 の「不動産投機」とは、農業や家を建てるためではなく、転売(土地ころがし)
 などのために土地を購入することをいう。」               
 (「JAPAN繁栄への回帰」130〜131ページ、一部引用)


 四つめは、民主主義経済です。これは特に、株式会社形態の大企業における経営
の意思決定を、トップマネジメント(最高経営責任者)による専制的なものから従
業員の参加による民主的なシステムへと移行させるために、従業員が自社の株を保
有するシステムに基づく、企業内民主化のことを指しています。氏は述べます。
(これは特にアメリカの大企業においてあてはまる事ですが)
「現在の企業は、その企業の発行株式の大部分を保有する株主によって経営されて
 いる。通常、その株主が最高経営責任者を指名する。その最高経営責任者は経営
 の軸となる人達を雇い、その経営の軸となる人達は会社を末端で支える社員を雇
 う事になる。結局このようにして、経営者と労働者という大きな二つのグループ
 が出来上がっていく。普通、この二つのグループはそれぞれ反対のことを考えて
 いる。経営陣は労働者に市場並みの給料を払って、労働者から最大の能力を引き
 出そうとする。もし労働力が不足していれば、労働者がその給料に納得しなかっ
 た場合、その生産性に応じた給料を彼らは受け取ることになる。しかし、労働力
 が余っており失業率が高い場合には労働生産性は無視され、労働者はその生産性
 に応じた給料はもらえない。経営陣の給料を決定する際は、労働力不足というこ
 とはあまり問題にはならない。というのは、最高経営責任者はその企業の経営陣
 の了解を得なくても自分の思う存分高い給料を取ることができるのであり、その
 高い給料を正当化するために生産性を全く無視して他の経営陣にも高い給料を支
 払ってしまうからである。つまり、このような最高経営責任者と経営陣の馴れ合
 いが問題なのである。このようにして、経営陣の給料は青天井となり、アメリカ
 に見られるように、給料の最高額が最低額の230倍の格差という馬鹿げた現象
 が起きるのである。」(「JAPAN繁栄への回帰」 132〜133ページ)

「このような不均衡は公平でないばかりか、結果的に経済的な不均衡ももたらして
 いる。この不均衡は結局は需要に影響を及ぼし、その穴埋めをしようとするため
 に結果的に(政府が)財政赤字になるというシナリオである。全てが無駄なので
 ある。効率的で公平な経済制度を作るために、プラウトは「民主主義経済」を提
 唱する。このシステムにおいては、その企業の労働者が大株主である。そこでは
 、経営は依然として専門家の手にあるとしても、取締役会は外部の株主ではなく
 内部の大株主である労働者に責任を取らねばならないことになる。そして取締役
 会は、主として労働者の中から選ばれたメンバーから成るということになる。そ
 のような取締役会が、労働生産性と賃金の格差を増大するような政策を認めるは
 ずはない。このシステムは根幹が民主的であることから、経営者側と労働者側の
 賃金格差は小さくなっていくだろう。これを実行に移すにはトヨタやソニー、I
 BMにメルセデスベンツといった、大規模な会社が適している。このような大規
 模な企業の場合、少なくとも51%以上(経営の決定権を持てる)の株式が、そ
 こで働く従業員の手によって保有されるべきである。つまりその残り(全体の株
 式の半分以下ならば、外部の一般資産家に持たせても良いということである。中
 規模の企業でもこのような経営がされてもよいだろう。」
 (  同  132〜134ページ 一部引用  )            


 このように氏が、たびたび自著のなかで述べてきた「プラウト」的経済政策の主
要な柱はこのような四つの要点に大別できるのではないかと思います。
 
最後にこの「プラウト」的経済政策についての内容を氏が個条書きに整理している
部分を挙げておきます。
「・工業の分散多様化
 ・できる限り小さい不平等(不均衡)格差
 ・労働生産性に比例して釣り合うような実質賃金の設定
 ・様々な資産市場での、適正価格を基にした需要と供給の合致
 ・バランスの取れた貿易
 ・汚染のない環境

 そして、このようなプラウトの政策は、次のような経済状況をもたらす。
 ・国内の企業間における激しい競争
 ・製品の輸入に関する厳しい規則や高い関税
 ・低い所得税
 ・必要最低限の賃金の確保
 ・均衡財政
 ・持ち家に対する税制優遇
 ・株式や不動産に対する銀行の貸し出しの厳しい規制
 ・民主主義経済(企業の従業員自身を株主とする企業の増大など)
 ・新しい技術に対する効果的な管理                    」




【2】21世紀に向けての、私独自の新しい社会思想、社会システム像の具体的
   な提示の試みーーーー「共生民主主義」について


@ 私のイメージする「共生民主主義」について。また、それが目指すもの。

 「共生民主主義」とは、従来の民主主義思想と区別するために、敢えて私が名づ
けたもので、先に考察した「共生」的な思想を土台とした、新しい民主主義の考え
方による、社会システムの再構築のための方向性を理念する新しい社会思想をイメ
ージしています。
 この「共生民主主義」は、従来の「資本主義」や「共産主義」がその価値観や世
界観の基礎としていた、今までの近代機械論的唯物論的哲学観とは決別し、霊的(
潜象)世界の存在の前提の中での、人間としての生きがいや精神的な幸福といった、
霊性(スピリチュアリティ)的な生き方が可能となるような、社会システムを目指
します。                        
 それは、自然(宇宙、地球)と人間との共生の実践とそれが出来るようなシステ
ムによって地球環境破壊を抑止し、人間と人間との間の共生(「友愛」もこの一部
だと言えると思います)の実践と、それが出来るようなシステムによって、人間社
会の自由と平等や全体と個の調和、互恵のある社会を目指します。
 ラビバトラ氏は、「プラウト」が目指すものの一つが、霊性に基づいた、経済、
特に企業における民主的経営化である。とし、それを「民主主義経済」という表現
をしています。私は、この考え方を経済だけでなく、政治にも拡げるべきであると
考えます。そして、当然、その土台とする民主主義は決して今までの、多数決(数
の論理)至上的なものではなく、共生思想の実践という人々の霊性の進歩を伴わせ
る事で、その欠点の克服を目指す共生的な民主主義です。
 このように、私のイメージする「共生民主主義」とは、基本的に経済システムに
おいてはラビバトラ氏のプラウト的な思想の進歩発展を目指し、政治システムにお
いては共生的な民主主義を土台とした、直接民主主義を目指します。



A「共生民主主義」の社会理念

{ 社会理念 }

*政治システムは複数政党制による民主主義ではあるが、従来の議会等による間接
 民主主義的なシステムから、電子的情報ネットワークシステムを利用することに
 よる、直接民主主義的なシステムへの移行を目指します。          
 しかし、その前提として、市民一人一人の共生的な倫理観の実践という、政治的
 意思決定参加者としての精神的、霊性的質の向上が伴わなければならない。
 今までの少数者意思の反映を排除するような、多数決(数の論理)至上主義的な
 民主主義の欠点を共生的な倫理観の実践とそのためのシステムによって補うこと
 で、政治的意思決定参加者間の精神的調和や幸福を伴った質の高い民主主義を目
 指します。
 

*経済システムは市場経済システムではあるが、今までの資本主義的ないわゆる「
 人間の金銭的、物質的富への欲望」(物質的価値)が主要な経済活動の原動力と
 なるような動機と結びついた市場経済とそのシステムから、「人間の精神的、霊
 性的な幸福や進歩などといったもの」(精神的価値)がその主要な経済活動の原
 動力となり動機となるような新しい形の市場経済とそれが可能となるようなシス
 テムへの移行を目指します。
 それによって、人間の精神的な幸福と結びついた経済社会を目指すと同時に、地
 球環境破壊の抑止を目指した、宇宙や地球との共生と持続可能な共生市場経済を
 目指します。

 そのような経済を可能にするためには、まずその社会の構成員である人々の精神
 性、霊性(スピリチュアリティ)の一ランクの進歩が伴うことが大前提となりま
 す。
 つまり、地球と地球人類文明の危機的な状況を生み出した源泉が、「世界という
 ものは目に見える世界だけであり、人間は死んだらただの無になるだけなので、
 それならば、金銭的、物質的な富を追求してこの世をエンジョイしよう」という
 ような、霊的(潜象)世界の存在の無知と否定による、霊的な存在や地球に人間
 は生かされているという意識の欠落そのものであった。ということの人々の自覚
 と反省による、共生的な価値観を経済で実践するという意識変革という形での、
 精神性、霊性の進歩です。それが初めに無くて、単にこのような理念の経済シス
 テムだけを整備したとしてもそのような経済は十分には機能しないでしょう。
 旧ソ連のシステムにはこのような側面がありました。
 今までの人々の主要な価値観は物質的価値であったので、それを原動力としてき
 た資本主義経済はこのようなそれなりの低次元の意識のレベルに合致していたか
 らこそ、機能していたわけです。                      
 しかし、地球の危機的状況の進展の中で、人々の価値観は物質的なものから精神
 的なものへと変革が求められ、そして人々の意識も高まってきています。
 そのような中で、資本主義経済は停滞し、崩壊に向かっているのも必然なわけで
 す。
 いわば、人々の意識の高まりによる新しい価値観と今までの資本主義経済の価値
 観とが合わなくなってきているわけです。それに代わって、このような新しい価
 値観を経済活動の原動力にできるような新しい次元の経済理念やシステムの登場
 が歴史的に待たれているわけです。私がイメージしている「共生民主主義」経済、
 社会理念とそのシステム像はそれを目指しています。



B「共生民主主義」の主要な経済・社会政策、システム像

 私の、共生民主主義の理念に沿った経済・社会政策、システム像は基本的にラビ
バトラ氏の「プラウト」経済政策、システム像を土台としつつ、その他の重要と思
われる政策像(経済的な分野だけでなく)を追加し、進歩発展させるものです。
 「プラウト」経済政策像については、すでに前章でご紹介したので、ここでは私
が特に強調したい点や私独自の追加したい政策像(経済分野のみならず)等を書い
てみたいと思います。


*経済システムは、貨幣を使用する市場経済ではあるが、資本投機(土地、株式、
 先物取引等、全ての投機的取引)を一切行わせない金融システム、市場経済を目
 指します。

 市場価格の変動を利用して、その差益を稼ぐという「投機」の本質は、金銭的欲
 望を動機とした社会の人々の資産の奪いあいというエゴそのものです。投機とい
 う経済過程のなかで起こることは、ある人がこの投機のなかで得た利益の源泉
 は、その他の無数の投機参加者の損益から得たものになるということです。これ
 は、ギャンブルと本質的に同じです。その結果として起こるのは、人々の間の資
 産格差の増大と人心の荒廃等というマイナス面だけです。
 そして、「投機」は「偽の需要」による「偽の価格上昇」を生み出すと同時に市
 場価格を不安定に短期周期的に激しく変動させたり、長期的な価格の急上昇と暴
 落(バブル)を生み出す根本要因となっています。
「投機」を排除した経済では、「地価」は投機目的の偽の需要者がいなくなるので、
 本当にその土地を利用する(ビルを建てる、家を建てる、農地にする等)真の需
 要者だけによって地価が決まるので安定すると同時に、高騰したり暴落するよう
 な事もなくなる(バブルが生じない)でしょう。そして、「株価」も安定すると
 同時に、株式会社の業績や貢献度といった評価がその会社の株券の株価にストレ
 ートに反映されるようになるでしょう。
 経済システムにおける「投機」という過程は、本来的には必要無いのです。
 ではなぜ今まで、経済においては必要性のないこのような投機が資本主義諸国の
 経済のなかで行われてきたのかと言うと、それは、今までの人々の金銭的な欲望
 が、経済のマネーゲーム化とそのような金融システムを求めてきた結果に過ぎな
 いのです。
 本来、国民の分業による労働等によって生み出された全資産(富)を国民一人一
 人に分配するために、「経済」というシステムが社会に必要な理由があります。
 
 共生民主主義経済においては、このような本来の経済の役割に立ち返り、国の全
 資産(富)が一人一人に合理的に、公平に分配されるような経済を追求すること
 で、人々の経済的幸福化と共生を目指します。
 その中で、金融システムは、資本投機とそのためのシステムを排除したものに再
 編します。この中での金融システムの役割は、個人や企業等への融資やそれらか
 らの預入といった貨幣の貸借の仲介といった本来の役割に限定することになりま
 す。そこでは、貨幣を貸した人々が、それを借りた人々が得た便宜としての妥当
 なレベルの利子率による利子を受け取り、借りた人々はその便宜に相当するそれ
 と同じ利子率による利子を貸金に乗せて返済するという意味での、従来の利子を
 伴った貨幣の貸借制度は許され得ますが、そのレベルを越えた不当なもの(例え
 ば公定の平均利子率から離れた不当な高利子率で貨幣を貸す、消費者金融等)は
 禁止するべきです。
 しかし、このような利子も本来は無くても経済運営は可能です。それは、知人同
 士の間の貨幣の貸し借りで利子を取らないのと同じように、社会全体の人々の間
 の貨幣の貸借の経済のレベルでもそれを行えるように変えることです。例えば、
 営利企業による金融機関を徐々に廃止しつつ、NPO組織によるそれにシフトし
 ていくというような方法で、NPO組織による利子を取らない貨幣の貸借ボラン
 ティア的金融機関に置き換えていくというような方法によってです。これは、共
 生民主主義の理念の経済における実践を一層前進させることになります。
 人々の霊性が今以上に高まって来れば、このような利子をも廃止した、貨幣が貨
 幣を生むような投機や投資という貨幣自身の商品化を廃止した、貨幣の本来の商
 品交換機能のみしか用いない経済を人々が受け入れることも可能になってくるだ
 ろうと思います。



*従来の大量生産大量消費経済による地球環境破壊といった問題の根底には「人間
 の金銭的、物質的富への欲望」の動機を第一と考えてきた、経済活動(資本の論
 理)が有ります。そして、従来の資本主義的な市場経済システムにもこのような
 資本の論理によってしか機能しえない欠陥性があります。それは例えば、「地球
 環境保護に貢献する商品にも関わらずコストがかかり、価格が高いので供給され
 にくい」という問題に現れています。つまり、この地球環境保護に貢献するとい
 う社会的な価値尺度による商品価値は、市場価格機構の中では反映されていない
 わけです。市場価格機構においては、その商品が社会に供給されるか否かは、価
 格の高低だけでしか判断されません。それは、金銭的な価値尺度だけです。
 市場価格機構は金銭的価値尺度という情報によって、社会への物財の需給を制御
 するシステムと捉えることも出来ます。
 このような市場価格機構の欠点を克服させるためには、市場価格機構の他に、社
 会的価値尺度というものを、市場経済システムに反映させるような情報制御を担
 うようなイメージの自律的な何らかの形のシステム(機構)が必要だと思いま
 す。私はこのようなシステムを生産主体である、営利企業の経営システムの中の
 一部分としてリンクする形で導入するべきだと考えています。まず、その生産的
 経済単位である存在の営利企業のシステム改革がどうしても必要になってきます
 。
 今までの資本主義的営利企業(その代表としての「株式会社」経営形態企業)の
 共生民主主義経済の理念実践に向けての商品生産決定、経営システムの改良への
 方向性、課題としてあるのは、
 一つめは、利潤を出さなければ企業が存続できないという性格上、資本の論理
(利潤追求、売上第一主義)が物財やサービスといった商品生産の最大の目的に陥
 りがちな中で、それとは拮抗するような性格の「社会的価値」すなわち、消費者
 の商品のニーズや企業が社会的存在として守るべき倫理、人道(企業の社会的責
 任)をいかにして目的に反映させていくのかということ。 
 二つめは、その商品の生産や企業経営方針の意思決定が一部の企業幹部(トップ
 マネジメント)だけによって為されるシステムから、全ての社員の参加によって
 その意思決定が可能になるようなシステムへの企業内民主化です。
 私は、このような課題の克服を目指すような、営利企業の新しい生産決定、経営
 システム(大企業に適する)を考えています。以下にそれを図示します。
(これは「地球危機克服への政治経済(第一弾)で掲載した図です。一部、文章を
修正しています。)
_______________________________________

 新しい企業経営システム(企業内民主化と社会的価値の反映を目指す)と、
 他の経済単位との連関イメージ図
                                    
                 _________           
   _____  金融政策  |         |          
  |     |ーーーーーー>|   市 場   |          
  | 政 府 |       |(貨幣取引の他、 |          
  |_____|       | 消費者の要望等の| 消費者の要望  
     |    製品を売る | データ収集基地)|<ーーーーー| 
     |  /ーーーーーーー>|_________|      |  
会社設立の| |           A  |          |  
判断等、 | |      労働者  |  |        __|__
マクロ経済| |      消費者間の|  |売上金    |     | 
面でのコン| |      情報コミュ|  |の回収    | 消費者 | 
 トロール| |      ニケーショ|  |       |(生活者)| 
     | |          ン|  |       |_____| 

・・・・・|・|・・・・・・・・・・・|・・|・・・・・・・・・・・・・・・
・ ___
V_|_設備投資、生産シ _V__V_      |_国民__|・
・|      |ステム維持費等の|      | 給料  |     |・
・|生産システム|請求      |労働(従業)|ーーーー>| 労働者 |・
・|または従業場|ーーーーーーー>|者コミュニケ|     |(生産者)|・
・|(運営者のみ|<ーーーーーーー|ーション組合|<ーーーー|_____|・
・|   存在)|意見、要求の反映|(会社の資本|代表者を送る  |   ・
・|__ ___|運営者の監視  |  も管理)|        |労働力・
・   A            |______|        |の提供・
・   |              |  A          |   ・
・   |______________|__|__________|   ・
・                  |  |              ・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・|・・|・・・・・・・・・・・・・・・
 「新しい会社形態」         |  |株式による出資か、
                配当金|  |それに替わる
                   |  |新しい出資形態
                 __V__|__
                |        | 
                | 個別投資家  |
                |(労働者自身も |
                |  持株を持つ)|   
                |________|

*用語の解説

・生産システム、従業場中での「運営者」というのは、会社の資本の管理権が無い 
 経営者という意味で、今までの株式会社における経営者と区別するためにあえて
 私がそう呼ぶことにしたものです。

・「労働(従業)者コミュニケーション組合」というのは、図に書いている様に
 会社の資本を管理し、なおかつ消費者の社会的な要望を吸い上げ、それを会社の
 物財、サービス生産に反映させる事も行う労働(従業者)組合という意味です。
 
*新しい会社経営システムの特徴(従来型の株式会社と比較して)

 営利的企業に共通して克服しなければならない問題点として、資本の論理(利潤 
 追求第一の考え方)が支配する中で、企業が社会的存在として守るべき倫理、人 
 道(企業の社会的責任)をどうやって反映させ、両立させて行くのかという点が
 あります。
  新しい会社経営システムでは、今まで商品生産の種類、量、価値基準が会社の
 経営陣(トップマネジメント)によって資本の論理の上で判断されてきた状況か
 ら、労働者コミュニケーション組合が会社の資本(資金)を管理し、労働者1人
 1人が株を持つ事により、社内の発言権が高まり、実質的に経営主体が彼らに移
 ります。

 その様な会社では、ある事業に対してどの様な意志決定がなされるのでしょうか?
 ある例をとって考えてみます。
 ある会社は事業の1つとしてゴルフ場の開発を行いたいのですが、その開発には
 多くの森林の伐採が必要であり、完成後も農薬で周辺の魚類が多く生息する河川
 を汚染することが予想され、環境破壊が十分に予想される開発でありながら、実
 行すれば莫大な利益が見込める開発事業であったとします。
  今、この会社の経営状況は赤字に傾いていて、従業者達からも賃上げ要求が出 
 ています。
  そのような時、この会社が従来の株式会社形態であれば、一握りの経営陣(ト
 ップマネジメント)は、多少追いつめられた状況の中でやむなくこの開発事業を
 実行することを決定し、この開発事業が環境破壊を十分に引き起こしうるという
 事実は社内秘密とされ、一握りの経営陣のみしか知りえず、従業者達はそのこと
 を知らないまま開発事業に従事するという由々しい選択がなされる可能性があり
 ます。
 しかし、この新しい会社経営システムでは、まず従業者コミュニケーション組合
 で、この開発事業の是非が話し合われ、最終的に従業者達の良心によって環境破
 壊の無い別の事業を行う選択をしたり、賃金を据え置くこともやむおえないとい
 う考えに傾き、この開発事業は止められる。という選択の希望があります。
  
 この例から考えられる様に、この新しい会社経営システムでは、
 

・従業者達の良心的コントロールによって、会社が悪徳化するのを防ぐ効果があ
 と考えられる。

・従業者達が経営に参加する事により、会社の現状への理解が深まり社内的融和
 が保たれる事が考えられる。                        

・従業者コミュニケーション組合が会社の資本(資金)を管理しているため、従 
 業者達に最大限に賃金が分配されやすく、経営者と雇用者との間の賃金格差が
 小さくなるのではないか。 

・消費者の社会的価値が反映される。                                                 と、期待できます。
 
 この会社経営システムは、ラビバトラ教授の提唱する「従業員持ち株制度」に、
 根井康之氏が解明した、現代資本主義における資本家管理から労働者管理への流
れと共同的管理が必要である。という認識の下で、私が現実的なシステムとして、
具体化してみたものです。

_______________________________________



*資源循環(リサイクル)が行われ、地球を汚染しない無限性のある新しいエネルギ
 ー源の利用にシフトした、地球と共生する持続可能な経済社会システムを目指しま
 す。

 これは特に、物質的なモノ作りである工業分野においては、物質資源のリサイクル
 とそのための技術開発を進め、かつ、経済の基盤を物質的な資源を利用する工業分
 野に頼るだけではなく、人間への精神的、知的なサービスを作り出す分野(サービ
 ス業、情報産業等)やエコロジー産業等へと比重を高めていくことです。そして、
 文明社会のエネルギー源を地球環境破壊を起こさない無限性のある新しいもの(太
 陽光、風力、地熱、核融合、宇宙エネルギー等)に利用をシフトしていく事です。
 また、政府は、環境税の導入や地球環境保護に貢献する商品に対しての補助金等で、
 このような経済社会のシフトへの促進策を取るべきでしょう。

***続きがあります。次のページへ***
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