題名:地球危機克服への政治経済(第二弾)   1996年作成


{1}現代の地球人類社会の行き詰まり状態の中で求められる新しい哲学、考え方に

   基ずく新しい社会 


 今、日本、世界の経済が混迷の度を深めています。

こういう状況に対して、何でこのようになっていくのかと考える方も多くなっていま
す。
これに対するの人々の考え方は、次の考え方に大ざっぱに性格が二分されていま
す。
 
(1)いままでの政治、経済体制がこの先もずっと続くという思考の延長線上で捉え、
 今の経済不況は政策的に問題があるからだと考え、規制緩和等の景気回復や経済
  を安定、強化させる為の政策実行を政府に強力に求めている人々。

(2)少数派ながら、今の経済の混迷しつつある姿は、金銭、物質中心主義に至り、地
球環境破壊を起こしている現代経済社会を、宇宙の創造主的存在が幕引きをしよ
うと人知を越えた力が働いているということを悟り始め、地球危機を乗りこえる
為のこれからの新しい経済社会(政治、哲学、科学ももちろんですが)はどうす
べきであるかを真剣に考え始めている人々。


 今の時点で、私は(1)の考え方を否定するわけではありません。それは、既成の
経済社会が続いている今の時点では、現実的な対応だからです。しかし、これから起
こるであろう日本、世界経済の現実を見ていく中で、(1)の考え方をしている人々
も(2)の考え方に気づいていくだろうと思います。

 私がこれから書いていく内容は、(2)の認識のもとでの考察です。

 さて、地球人類文明が地球と共に存続していく為には、どのような社会であるべき
なのでしょうか? 

 ここに、重要だと思えることが書いてある本を紹介します。

* エゴからエヴァへ    船井幸雄 著   PHP研究所 刊

 この著者の方は、本業は経営コンサルタントだそうです。そういう職業柄、色々な
多くの人達と会う中で、地球人類の存続に危機感を持ち、考え、行動している人達に
強い影響を受けたそうです。そういう人達の考えや行動を紹介しながら、著者の考え
を書いています。 
 
 私は、経済社会の第一線にいる方が、こういう問題を扱った本を書いているのに驚
きました。

 その本の前書きから一部を抜粋します。

「本書の題名の「エゴからエヴァへ」は、つぎのような意味です。
 足立育朗さんが、宇宙のすぐれた知性的存在から教えられたコトバです・・・・
 と私に伝えてくれたものです。
 
 「エゴ(EGOH)」も「エヴァ(EVAH)」も宇宙語ということです。
 「EGOH(エゴ)とは、ある惑星の住人の集合意識が、「エゴ、対立、競争」
 をベースにしている社会のことです。                    
 
 それに対してEVAH(エヴァ)とは、集合意識が「愛、調和、互恵」をベース 
 にしている社会です」ということでした。                  
 良いコトバですし、意味も良く分かりますので、本書の題名に拝借することにし
 ました。
 なによりも、このコトバのもつ響きや考え方、生き方の中に、愉しい、明るい、
 すばらしい二十一世紀を創るヒントがあるように思えます。         」
 
 
 今までの20世紀の地球人類社会が、まぎれもなく「EGOH」をベースにして来
たのは、皆さんもおわかりだと思います。 

 そこで、この「EGOH」つまり、「エゴ、対立、競争」がベースになって来た、
今までの地球人類社会の問題点を考えてみます。 
 

:「戦争」はこの「EGOH」が生み出した最たるものだと思います。
 
第一次世界大戦はロシア皇太子の暗殺という国家間の「憎しみの対立」によって始
 まりました。 
 
 第二次世界大戦は、ドイツのナチズムや日本の植民地支配という「国家的エゴ」に
 対してアメリカを中心にした勢力が聖戦という戦いを挑んだ結果だと思います。
 
 日本の植民地支配の根底には、ヨーロッパの列強からアジアを守るという大義名分
 を掲げながらも、当時の財閥を中心にした日本独占資本主義の市場を拡大させるた
 めに、近隣諸国の民衆を半奴隷化(実際、非常に低い賃金で働かされていた)させ
 ようとする、日本の「国家的エゴ」が見え隠れしていた点を忘れてはならないと思
 います。
 その原因となった国家独占資本主義も「EGOH」をベースにした社会です。
 
 ドイツのナチズムは、ドイツ民族(アーリア人)が世界で最も優秀で、世界を統治
 しなければならないという妄想をヒトラーが鼓舞することによって生まれました。
 そこには、他の民族の良い所を認め合うという様な人類愛が欠如した「エゴ」しか
 ないと思います。
 
 それに対抗した「聖戦」という考え方も検討する必要があると思います。
 その考え方が顕著に表れたのが、この前の湾岸戦争の時ではないでしょうか?
 
 イラクがクウェートに進攻し、アメリカを中心とする国連が非難決議をし、最後に
 は「聖戦」的な武力鎮圧をしたわけですが、
 この一連の動きを見ていて、そのとき私が思ったのは、
 
 アメリカは「イラクがクウェートに進攻したのは悪だ」と信じ、イラクは「アメリ
 カに対抗し、アラブ諸国を統一することが善だ」と信じているところが問題で、
 民族間の相互理解努力の怠りによる、一方的な善悪判断が「聖戦」という考え方を
 生み、戦争を招くのではないかと。
 
 だから、本質的には、この「聖戦」と言う考え方も「EGOH」的だと思います。


:「競争」は人間社会に本当に真の幸福をもたらすのだろうか? 

 現代経済社会が「競争」をベースにしているのはまぎれもない事実です。
  販売競争、価格競争、受験競争等々、数え挙げれば切りがありません。
 
最近は、規制緩和論議の中で「競争原理」の導入が善だとされ、人々はあまり意味
  も考えずにそれが常識化しています。

 先の本の著者、船井幸雄氏は、「競争社会をこえて」 アルフィコーン著 法政大
 学出版局刊という本についてのある雑誌の書評(「週刊読売」の「BOOK RE
 VIEW」)を紹介しています。皆さんに改めて考えて貰う意味で、それを引用
します。

「本書の凄さは、勝利至上の社会構造が問題なのだと、競争そのものを全否定した 
 ところにある。 
 
 しかしすぐ、次のような反論が出よう。競争こそ近代社会が生み出した原動力で 
 あり、新発見、新発明の母ではないか。遊びやスポーツにも競争が不可欠なよう 
 に、競争は人間性の一部といってもいいのではないか・・・。

 これに対し著者は、これらの言説はすべて神話であると決めつけ、生物学、人類 
 学、心理学などの最新の成果、教育実験の結果などを証拠に、それを証明してい 
 く。
 
 生の根源たる進化と適者生存にも競争は関係ない。ここにみられるのは共生、協
 同、協働の仕組みである。
 競争が人間性の一部なら、すべての人間が競争的であることを立証しなければな
 らない。
 しかし、文化人類学の教えるところ、無競争の民族、社会が存在し、そこでは競
 争は悪とすら考えられているのだ。
 
 競争のない遊びやスポーツもある。競争と成果とは別々のもので、人々の協同、
 協働がすぐれた業績を生んだ例は多い・・・まだまだいくらでもあるが、このく
 らいにして、興味深い実験例があるので、それを紹介しよう。
 
 十一、二歳の少年達(人数は記されていない)を二チームに分け、キャンプ場で
 三週間、別々の小屋に住まわせる。
 この間、野球、フットボールなど競争的ゲームをやらせ、勝った方に賞を出す。
 やがて少年達は、他チームの少年達を罵倒、侮辱しあうようになった。
 両チームの融和が成ったのは、トロッコを丘の上に運び上げたり、給配水工事な
 どの協同、協働作業だった。

 この例は、著者の主張を如実に示すとともに、競争社会に生きるすべての人に一
 考を迫っている。
 
 競争は非生産的であるばかりか、人間の尊厳を日々、蝕んでいくのだ。    」


 船井幸雄氏はこの本を愛読書にしているそうで、
 
 「競争は善と考えるのは、地球上のある時期、ある場に条件を限定したルールで、
  マクロに世の中全体の諸現象から考察すれば、まちがっていると考えた方がよ
  さそうだ。」
 と結論づけています。

 私は、市場原理のような、社会システムとして必要な競争(これ以上良いものがな
いと思われるもの)はやむおえないとしても、その他の実害の方が大きいと思われる
ものは極力、競争によらないシステムに変えていくべきだと思います。      
 
 私は、「競争原理」に替わりうるEVAH的な原理は愛、互恵的な行動原理に基ず
く「協働原理」ではないかと思います。いいかえれば、
 人々、仲間、宇宙の創造主的存在の為に行動する事による精神的な幸福感が原動力
になるようなシステム。

 例えば、ボランティアがそうだと思うのですが、そういうものを経済社会に極力、
システムとして取り込んでいくのも、一案だと思います。


:地球環境破壊と「資本の論理」克服の必要性

 私は、前々から、地球環境破壊がとめどなく行われてきた要因としてある、
企業においては、地球環境破壊が伴う事業であっても、金銭的に儲かるならば行われ
てしまうことや、主に発展途上国の生活者が生活するために焼畑農業でやむなく森林
伐採を行ってしまう等の問題をなんとかしなければならない。と思ってきました。

 その、今までの経済社会システムにおける構造的問題点と改良点を挙げます。


・営利的企業における、地球環境保護よりも金銭という「資本の論理」の優越。
 その「資本の論理」が良心によって抑えられにくい、会社経営システム的な問題。
 
 (株式会社での、一握りの経営陣による事業決定から、労働組合等が意思決定に
  参加する、全員参加型の事業決定システムへの移行の必要性。
  私は以前の九月頃にアップした第一弾の考察で、その具体的な
会社経営システムの一案を示しています。               )
 
 人々の企業への社会的評価が売上金など金銭的価値中心の風潮から、地球環境破壊
 防止などの社会的貢献度を高く評価する風潮を作り、企業がそういう社会的貢献を
 すればするほど業績が上がるように、人々が助けていく。また、それを補助する社
 会システムを研究考案し、経済に組み込んでいく。
 

 発展途上国の森林伐採の問題についても、日本も最近開発されたEM技術等の地球
環境保護に役立つ技術や生活保護の福祉的政策のノウハウを発展途上国に積極的に提
供し、森林伐採防止等の地球環境破壊防止のリーダーシップをとっていくべきだと思
います。          



{2}新しい社会形態の具体的考察----社会思想的側面において


 ここからは、20世紀「EGOH」社会の申し子とも言える、資本主義社会を変え、
地球危機を克服して行ける可能性のある近未来型の社会形態を社会思想的な面で取り
上げ、考えていきたいと思います。   


1)ラビバトラ氏のプラウト的社会

 これは、第一弾の考察で紹介したので、ここでは考えませんが、 
 基本的には、今の社会の改良主義的なものです。




2)共同自治的な情報コミュニケーションを重視する政治経済の方向性

 これは、上の、プラウト的な考え方に含まれるといえるもので、主に現代科学が提
 示する新しい社会認識アプローチおよびソ連型社会主義の問題点の反省と現代資本
 主義で芽生えている新しい可能性から導かれてきた考え方で、根井康之氏がその 
 中心的な研究家ではないかと私は思います。
  
 第一弾ではあまりくわしく触れなかったので、氏の著書「ポストマルクス主義の社
 会像」の文章を引用しながらこれを中心に考えていきたいと思います。


:現代科学が提示した新しい社会認識のアプローチ

 ここでは、社会認識の方法が哲学的に変わりつつあり、その新しい社会認識の方法
 によって、資本主義、社会主義を越える新しい社会システムの可能性が見い出され
 つつあるという点を取り上げたいと思います。

  根井氏は次のように述べています。(要約)

「「古典派経済学は、”自然を客観化し、そこを支配する重力の法則を解明する”
という決定論的な世界を想定した古典物理学をモデルとして形成された。

  (そういう古典物理学の科学的認識の手法が社会認識に持ち込まれ、)    
  経済システムを客観化し、そこを貫く経済法則を認識する科学として経済学が
  成立し、それ以後のすべての経済学は、市場経済システムを客観的な認識対象
  とする、という理論的枠組を共有してきた。

  マルクス経済学も、その点では例外ではなかったのであり、ただ、市場経済シ 
  ステムが、労働力商品化による搾取や、無政府的生産による恐慌や失業といっ 
  た矛盾を内在させていることを明らかにした点において、それらの学説とは異 
  なった立場にたっていたのである。

  社会主義計画経済理論は、マルクス経済学にもとずいて、個々の経済主体によ
  っては制御することのできない価格の変動によって事後的に需要と供給を調整
  する市場経済システムを、事前の計画で計画指標によって需要と供給を調整す
  るシステムで置替えることで、それらの矛盾を克服しようとした。

  その場合、計画経済理論は、計画を作成する中央当局が、経済全体についての
  完全な情報を収集・処理し、現在と未来を対象とする単一の完全な計画を作成 
  することが可能な、決定論的な世界を想定している。
  つまり、新古典派の一般均衡理論も社会主義計画経済理論も、客観的に認識す 
  ることの出来る経済システムを分析の対象としており、そのような自己完結的
  な次元だけで決定的に調和を実現することができる、と想定している点では
  共通の立場にたっているのである。

  だが、客観的に認識することの出来る次元には、自由な諸個人が自主的かつ
  個的・共同的に情報処理・意思決定を行い、社会的な資源配分・処理を制御す
  る、という立場を原理的に容れることができないのである。
  (資本主義の矛盾とそれに派生する地球上の様々な社会的諸問題の克服を目指 
  した社会システムの創出や)
  社会主義諸国の政治・経済システムの改革・代替の試みの本質的限界は、この
  ことの認識を欠いている点にある。

  客観的な次元で自己完結するという近代社会システムの狭さを克服し、自由な
  諸個人の共同的な意思決定と社会制御の過程を包摂することのできる、新しい
  社会システムの創出が今、求められている。

  そのためには、近代的な社会認識の自己完結性を解体した新しい社会認識が必
  要となるが、そのモデルは、すでに現代物理学によって形成されている。
  
  相対性理論や量子力学といった現代物理学は、古典物理学が対象とした客観的
  世界の根底の次元を解明しているが、そこは決定論的な世界ではなく、不確定
  性と確率の支配する世界である。
  この世界においては、不確定性を減らし、秩序や組織を形成・維持するものと
  して、情報が重要な役割を果たす。
  物理学的レベルにおいても、場の量子論が、「場」という物理学的実在におけ
  る秩序発生が、情報によって行われることを明らかにしている。
  
  また、現代生物学は、生命の基本的性格である自己増殖には、素材・エネルギ 
  ー・情報が必要であることを解明した。
 
  物理の世界から生物の世界をへて人間の社会に至るまで、秩序の形成のための 
  要素として”物質--エネルギーと情報”が必要なのである。
 
  このような新しい自然観に立脚して、情報と制御の一般理論としてのサイバネ
  ティクスが成立する。
  サイバネティクスの創始者N・ウィーナーは、通報によって運ばれる情報が、
  人体や機械や社会の構成諸部分をさまざまな合目的な目標に向けて調節するこ 
  とによって、無秩序な状態に向かう自然界の流れを引きとどめる、という認識
  に基ずいてその理論を展開している。
  このサイバネティクスの分析概念を使って経済分析を行うアプローチとして、
  経済サイバネティクスが形成された。

  これは、経済過程を単に物的資源と人力の変換と流通の過程としてだけでなく、
  情報の交換と流通の過程、および両過程が相互作用する過程として捉えるもの 
  である。
  すなわち、社会的な経済過程は、諸個人が情報の流通を通じて、多様な選択肢
  の中から自由な選択をすることで、共同的な意思決定・目標設定を行い、それ 
  に基づいて資源処理を共同的に制御するものとして捉えられるのである。
  それによって、経済過程の不確定性が減少し、無秩序化に抗して社会の秩序の 
  維持と形成が可能となる。

  このように経済サイバネティクスは、自由な諸個人の共同的な意思決定と社会 
  制御という立場を容れることが出来る、という点において、客観主義的で決定
  論的な社会認識とは根本的に異なっている。

  現代物理学をモデルとする新しい社会認識は、客観化された次元の根底の次元
  を対象とする。
  この次元を認識するためには<物質----エネルギー ---情報>というサイバネ 
  ティクスの自然科学的カテゴリゼーションを社会科学化して、<資源と情報>
  というカテゴリゼーションに変換し、資源投入・産出と情報投入・産出との関
  係を<情報処理による資源処理の制御>として把握しなければならない。
            ーーー  中略  ーーー   
  近代社会システムは客観性のレベルで自己完結的な運動を展開しようとしたた 
  め、諸個人が自由な意思決定に基づいて環境世界を形成し、共同的な意思決定
  と制御によって社会の秩序と調和を形成することを抑圧したのである。
  
  社会システムの運動が、客観性の次元だけで調和を実現することは原理的に  
  不可能なのである。                          」」
  

私が重要だと思うのは、今までの社会認識が古典物理学、その源泉のデカルト的
合理主義哲学の延長線上での枠内を抜け切れていないことを、この方が指摘している
という点です。

 近代科学の科学的認識方法の出発点となった、デカルト的合理主義哲学は、古代ギ
リシャ以来の神秘主義的世界観が支配していた時代から、「込みいった問題は細かい
概念に分解させ、単純化して思考する」という数学的、論理的認識方法が自然や社会
の法則性を見い出させ、神秘主義的世界観から科学を引き離し、近代科学を誕生させ
ました。
 そして、物質と魂を別々のものとして捉える、二元論的な考え方が、魂を無視した
物質中心主義に偏った近代文明を生み出すと同時に、物質(三次元)世界の解明は進
みましたが魂(霊的)世界は無視され続けました。

 しかし、現在に至って、物質(三次元)世界の解明が更に進み、その根源の領域に
踏み込んで行くと、科学者たちは、物質と魂は密接に結び付いており、魂(霊的)世
界にも法則性があると気付き始めています。

 私は、そういう意味で、デカルト的合理主義哲学は、物質(三次元)と魂(霊的)
世界の法則性が全く解明されていない混沌とした状態を土台にした世界観(神秘主義
的世界観)に終止符を打ち、物質(三次元)世界のみの法則性解明の契機を作り、そ
の物質世界の解明への追求自体が、魂(霊的)世界の解明へと向かわせ、魂(霊的)
世界の法則性も解明されつつあり、それを取り入れた新しい哲学、自然科学、社会科
学が生まれる可能性を開いたという点で、一定の歴史的役割はあったと同時に、現在
は、その役割を終えたと思います。

 現在の、地球の人類と文明の危機的状況は、広義には、魂(霊的)な科学を無視し
た物質偏重科学によって築かれている文明の、文明的にアンバランスなひずみの現れ
に他ならないと思います。

 だから、このような今までの哲学、自然科学、社会科学を土台にした考え方を続け
る限り、危機は克服出来ず、魂(霊的)世界の法則性、科学を取り入れた新しい哲学、
自然科学、社会科学によって初めて地球危機が克服できるのではないか。という点を
強調したいと思います。


 まさに、社会科学の分野で根井氏はこの新しい考え方に立っている学者の一人だと
私は思います。この方のソ連型社会主義崩壊の原因の見解を次に紹介したいと思いま
す。

***続きがあります。 次のページへ***
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