「共生民主主義」政治経済に向けての道




「 共生民主主義 」とは、私が提唱する、今までの「資本主義」とも「共産主義(マルクス・レーニン主義)」とも違う、地球人類文明社会の危機的状況の克服を目指す、21世紀の新しい政治経済理念です。

今までの20世紀の地球人類社会は資本主義諸国も共産主義諸国もそれぞれ克服しがたい問題を抱えてきました。
前者では、物質至上主義、拝金主義による人心の荒廃とそれが止めどない力となって起こる大量生産大量消費経済による地球環境破壊等。
後者では、国家の中央集権的命令的政治経済システムによって起こる、国民の社会的自由の喪失と経済の停滞等。
この問題点に共通していることは、これらの社会システムが近代唯物論的世界観、価値観を土台として構築されてきたため、このような世界観、価値観以外のものを取り込めず、排除された社会理念やシステムであるということです。
この排除されたものとは「人間の精神性、霊性(スピリチュアリティ)」です。
近代唯物論的世界観は「目に見える世界だけが真理の全てである」と考えるため、「人間の目に見えない世界での、宇宙に法則性や調和、創造性を与えている霊 的な力、意識の存在」を否定し、認識の対象外とし、排除しようとします。人間の存在の価値観は単なる「物質的な存在」として貶められてしまいます。
そのような世界観や価値観を土台とした今までの社会システムが、人間を単なる社会システムの”一部品”としてしか扱えないものにしか進歩できなかった原因がここにあります。当然、そのような社会では人間の精神的、霊性的な幸福や進歩は抑圧されるわけです。
例えば、資本主義はこのような唯物的な価値観からくる止めどない人間の物欲や金銭欲を経済の原動力としています。
そして、初期の資本主義のもう一つの問題点であった自由放任経済からくる資本家の労働者に対する搾取、抑圧や貧富の差の問題を、生産手段の私有制を廃止し て共有制に移すことによってその解決を目指し、経済的に保証された人間らしい生活を回復させることを共産主義(マルクス・レーニン主義)は目指したはずで した。
しかし、この共産主義を実際に実施するその方法論には、近代唯物論的機械論的な発想の延長線上にある、中央集権命令型(垂直統合トップダウン型)政治経済システムに限界がありました。
それは、旧ソ連で行われたように、生産手段を私有制から共有制に移す段階で市場経済を廃止し、国家がマクロ経済だけではなく、本来”市場”で行われている ミクロレベルの経済の情報処理(価格決定など)もすべて中央集権的に行おうとした為、その膨大な情報を処理しきれず、”物不足”に代表されるような経済の 停滞を招きました。また、このようなシステムは国民から国家への情報のボトムアップという回路を欠いているため、経済においては国民(消費者)のニーズが 財やサービスの生産に反映されず、政治においては言論が国家によって統制、抑圧されるという状況を生み出したということもその一例です。
そして、現在では資本主義の景気の波による恐慌や労働者の抑圧や貧富の差の問題は、市場経済の中での政府のケインズ経済学理論を基にしたマクロ経済コント ロールと企業に対する労働組合による労働者の権利の主張や地位向上と社会保障制度による経済的な最低限の人間らしい生活の保障などを組み合わせた修正資本 主義や社会民主主義的な政治経済による緩和を追求するシステムになっているわけです。

しかし、このようなシステムによる、物質的経済的な保障が、人間が人間らしい生活をする為に必要不可欠であることは確かですが、その充足だけがイコール人 間の真の幸福につながるわけではありません。それは、人間の物質的欲望というものは、無尽蔵に出てくる性格のものであるからです。
このような人間の物欲や金銭欲を煽った競争原理が経済の原動力となってきた資本主義社会が、大量生産大量消費大量廃棄経済に陥ったのは必然であり、それが 地球環境破壊を引き起こしてきたことや、人々はいくら物質的、金銭的に充足されてもそこに何か足りないものを感じ、いったい何の為に競争し、働くのか?と いった心情に代表されるような精神的な空しさの答えを提示できないといった、資本主義の根本的な問題を克服しているわけではありません。

このような人間の精神的な幸福が社会において実現し、地球環境問題を始めとする地球人類文明社会の危機的状況を克服する為には、今までの近代唯物論的機械 論的世界観や価値観の狭さを克服し、そのような枠内を超えた次元の高い新しい世界観や価値観を土台としたものに社会システムを再構築する必要があります。
その次元の高い新しい世界観や価値観の芽は、文明の危機進展の下で私達地球人類の今までいかに地球の生態系や自然の真理とかけ離れた行動をとって来たのかという直視と反省の中での「共生」的な価値観や倫理観として生まれてきています。
そして、現代科学は、物質の超ミクロの世界の量子レベルでの運動の振る舞い(量子力学)や動物の体の働きや社会生活等の研究の対象の中には従来の唯物論的機械論的世界観から派生した分析認識アプローチであった、要素還元論や決定論では説明できない状況に直面する中で、「複雑系」という新しい分析認識アプローチが誕生し、その研究によって新しい世界観やシステムが提示されつつあります。
私は、「共生」的な価値観や倫理観が新しい政治経済理念の土台になるべきだと考えています。


「共生思想」の理念

*人間と自然(地球、宇宙)との間の共生

*国と国との間、民族と民族との間の共生

*人間と人間(人間と社会)との間の共生


「共生民主主義」の政治経済理念

1.国際政治においては一国覇権主義を許さず、それぞれの国(民族)の独自性や多様性を尊重し、国と国との間の互恵精神による共生を目指します。

2.今までの多数決(数の論理)至上主義的な民主主義の欠点を共生精神の実践により克服する共生的な民主主義を目指します。

3.経済システムは市場経済システムではあるが、今までの資本主義的ないわゆる「人間の金銭的、物質的富への欲望」(物質的価値)が主要な経済活動の原動 力となるような動機と結びついた市場経済とそのシステムから、「人間の精神的、霊性的な幸福や進歩などといったもの」(精神的価値)がその主要な経済活動 の原動力となり動機となるような新しい形の市場経済とそれが可能となるようなシステムへの移行を目指します。

4.社会における組織のあり方を、今までの垂直統合トップダウン型のものから、水平協働ボトムアップ型のものへと改良を目指すことで、社会の構成員(市民)の意思による社会のコントロールがより高いレベルで可能となるような社会を目指します。


以下の文は、2019年12月追記:

この私の「共生民主主義」は、「プラウト主義経済」(進歩的活用理論)を理念や政策的に補完するものです。私は次の新しい政治経済は、プラウト主義経済を主軸として、この共生民主主義で補完されれば、さらにより良い政治経済に変革できると考えています。




2000年12月に著書「共生民主主義政治経済社会への道」を新風舎より刊行し、現在、この出版社の倒産で絶版状態になっていた本を、電子書籍として再々販売提供を始めました。

著書の紹介のページをご覧ください。


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